茶太郎の雑記

ライター見習いの気になったことまとめ。

思考停止が招く日本沈没 -政権をダメにしているのはロボット有権者-

◾️現在の国の施策に関して 

  • 文句を言えば国は変わるのか?暮らしは良くなるのか?

「『安倍は一体何をやっているんだ。』」

 

「テレビでもSNSでもひっきりなしに目にする単語だ。それはもう不祥事失策だらけで、本当に何をやってんだと思う所は強いのだけれど。」

 

「まず整理して、与野党の政権争いについて。別に現行の与党しかいないよねってスタンスだけじゃなく、少なくとも野党には任せたくないって気持ちを知ってほしい。」

 

「もっと抽象的には、10減るか100減るかなら、10がまだマシという究極の二択が現行のイデオロギー。ここには私自身、もっと明白で強い根拠があるのだけどさ。」

 

そもそもツイッターをなんとなく眺めてても納得するようなツイートがチラホラあんのに、なんで政治家はそれを発信しないのか。もう少しまともな、『そうそう、そうなんだよ!』って案が出てきてもいい頃だって思わない?」

 

「そんでもって野党は野党で夢見論か、明後日の方向か、そのどっちかしかないもんだからさ。」

 

「特にやれシュレッダーだとか国会がどうだこうだ、政治家である前に社会人である前に大人として恥ずかしくないのかなと。」

 

あんたらもうそれニートとかとヒエラルキー変わらんでしょうと。

 

  •  思考停止人間はロボット以下

「俺が特に嫌いなのは思考停止左翼。まあこの言葉ももう時代錯誤だと思うんだけどね。内閣反対!って声を上げて、やれここぞとばかりに不祥事を吊るし上げて総辞職だ、支持率低下待った無しだと、分かりやすく手段が目的にすり替わっている。」

 

「要はカルト宗教に染まってる連中と変わりないわけだ。どっちがテロリストかと思うよね。」

 

「また話が逸れるけど前提としてね、俺は愛国主義者よ。そりゃ、ワールドカップでどこを応援するって、生まれた国を応援する。けれどサッカーで好きなのはブラジルよ。ドイツも強いよね。メッシが好きだからアルゼンチンも捨て難い。」

 

「今の日本は昔と違って、そういうのが許されてるじゃない。そして世界的にもそれが当たり前で、そうあるべきって思うわけじゃない。けれどね、けれども生まれた国で、こんな島国が外から見たら随分と面白おかしい文化に則って、それでも数千年単位で今も変わらない文化を続けて、尚も先進国のトップと肩を並べて裕福な暮らしをしてるってのはさ。」

 

別にアメリカに守ってもらうのが気に食わない人がいるのも分かるし、沖縄の米軍基地の問題も、竹島北方領土も絶対にこうだって考えてる人はいるだろうけれどさ。いるだろうけれどって、俺は分かってるつもりなの。完全な理解なんて出来ないけども。」

 

「だから、偏った意見を貫いて訴えたい人ほど、そういう自由に基づいて、今が平和で、今が良ければいいって考えの人はいるってことを知らなきゃダメだよ。貴方は今、どうしてその地に立って、自由なことを述べられているのかっていう、大前提を放棄して発言の権利だけ述べるなって言いたい。」

 

「別にそれは、この国に恩義を返すだとか忠誠を誓うだとかってのは、一昔前の話だからさ。それを貫きたい人はそうすればいいし、別にこの国に感謝をしていれば外に出て活躍したっていいわけだし。それが度を過ぎて、なんか日本国籍ならなんでもいいやみたいなスポーツの風潮とか俺もちょっとあれ?って思うところあるけどさ。それはそれでまあいいじゃない。」

 

  • 現行の政権についてどんな視点で見てるか

「話を戻すけど、与党野党の政治の部分で一つの結論的な意見で、『結局今の日本の総理大臣をやれるのは安倍さんしかいない』ってのがあるじゃない。まあこれはね、概ね同意なのよ。」

 

「それはなんていうか、希望的観測論。誰がなんて言おうと、これまでの生活の中で特別困らなかったわけじゃない。何度北の国にミサイルを投げつけられそうになっても、結局今は無事。税金が上がっても生活にそれほどの苦労はない。これが子供でもできて本当に教育の面でしんどいんですとか、親の老後の介護福祉を見たときに、これじゃあ補助が薄すぎるとか、そういう実感が不満になって表れてくればわかんないけど、今一人暮らししてる段階では大して困ってないわけじゃんね。」

 

「文句を言う人って、それは大まかにひっくるめて“不安”なんだと思うの。それが怒りにもつながるし、理不尽だとか、損をしてるだとか、そう思うわけじゃない。隣の家はこうしてる、隣の町ならこういう権利がある、隣の国ならってさ。芝生はいくらでも青く見えてくるもんよ。」

 

「けれども実際、ブログなんかを漁ってみると、不満はあれども、満足はしておらずとも、現政権に対して否定的な意見ばかりではないし、どちらかといえばトランプ大統領の時のように、そういう意思を持った人たちの方が無言を貫いてるよ。ブログを見てきた中だと、大体俺が共感するようなことを書いている主婦や会社員の方、学生が結構いらっしゃる。」

 

「それで、皆が皆情報に踊らされるってのはもう昔っから。これだけネットが広まった現代においても、情報弱者っているもんで、まさにネットリテラシーってのが問われる時代。嘘を嘘と見抜けないはインターネットを~ってやつだ。」

 

「例えばさ、政治のことに関して100万人の日本人がつぶやいて、トレンドになって、『これはもう絶対におかしい!内閣解散だ!』って叫んでいたとして、まあそれを見たら詳細は知らなくても、確かに不安になるでしょ。もう今はテレビなんか情報操作されてるからとかなんとか言っちゃって、SNSは馬鹿みたいに信じるでしょ。そっから何となしに、これまでの政権への不信感だとか、不透明さだとか、不満が浮き出てくるかもしれない。でもそれは情報操作に踊らされていて、それは別に悪いことじゃない。それは一つの世論として正当だし、確かな意見に違いないから、別にいいのだけれど。」

 

「でもその事実を、もっとマクロな視点で見てみれば、ツイッターをやっている人がすべてなのか?って話。それはそうだ。考えてみれば100万人はすごい数字だけれど、日本人は1億人以上いるんだよ。数字にして1%だ。さらに言えば自分はその100分の1でしかない。もちろんその意見がとても重要で、国の方向性を決めるのだけれど、決してその100万人の意見が正ではないということを自覚したうえで、自己決定をすべきだと俺は思う。」

 

「思い出して欲しいんだ。例えばヤフー知恵袋とか、政治とかの相談すると大体似たような偏った話だとか、頓珍漢な回答だとか、要は的を得ない回答が多かったりする。ヤフーのニュースのコメント欄も、必ず批判から入ってる。ニコニコのニュースもそうだ。今度はLINE漫画のコメントなんかを見てみると、これも大体批判が多い。」

 

「批評ってのはどうしても、自分の立場が上になるから、何も持たない人間にとってはちょっとした自信になる。マウントをとるって表現をするよね。でもそれが虎の威を借るような、要はTwitterでフォロワー数数十万数百万の有名人がこう言ってたからとか、そういうのも混在してきちゃってる。若い子は特に、真似することで自分もちょっと偉くなったつもりになるとか、よくある話だ。」

 

「要はそういうコミュニティ毎に意見は偏ってるよってこと。特にこのネット社会、それが顕著だ。どうしてかって言えば、匿名だから。2chが流行りだした時からずっとそうだ。なぜか皆もうとにかく叩けるものがあったら叩いて叩いてぼこぼこになっても死体蹴りして笑ってるみたいな、そういう文化だ。」

 

  • ”村社会”から脱しても”村八分”は続く

「どうしてかってのを俺なりに考察すると、単に現実逃避だと思うんだな。現実で抑圧されて、ストレス発散できない。上司に怒られ、家族に怒鳴られ、もう行き場がないって気持ちがネットに出てきて、そういう理不尽に虐げられた腹いせに、復讐に、関係のない第三者だろうが傷つけて憂さ晴らしする。それは匿名だから後に残ることもないし、一石二鳥だと。」

 

「私刑という言葉がある通り、ちょっとでもコモンセンスに背いたようなモラル違反があれば、Twitterなんかでは即座につるし上げられる。逆に、Twitterなんかでちょっとした馬鹿騒ぎして注目を浴びようとする奴がいるのも対照的だ。」

 

「意見が違うことが許されない社会になっている。この構図から目を離してはいけない。何故なら、周りに流されるというのは自分で考えているようで、思考していないことだから。」

 

「逆に、いわゆる厨二病と呼ばれる、斜に構えて他人とは違うことを選びますってのも、違うわけだな。マジョリティーが当たり前に正しいこともある。けれどマイノリティーが大切にされる時代だからこそ、その意見が少数派な時こそ、根拠が大切になってくる。そうでなければマイノリティーは例のごとく糾弾され、意見すること、思考することが怖くなってしまうからだ。人数や数に惑わされてはいけないのだ。」

 

  • 厨二でも何でも自分で考えて行動出来る奴は格好いい

「俺は独学というか別に経済学も政治学も勉強せず、何ならこれまでの日本の歴史だって教科書レベルで誠の愛国心なんてさほど強くない。けれど、別にこの国がダメになったとしても生きていけると確信している。少なくとも寿命のうちは、というのはまた後述するとして。」

 

「だから俺に『間違っている!』と突き刺してくる輩がいても素直に耳を傾けるし、その上でまた自分の意思決定を検討するだけだ。こんなやり方をうまく進めてきた結果がトランプ大統領誕生のアメリカの選挙だったんじゃないかと、素人目に思っている。隠れていた本当の主張者たちは、革新を達成するために身を隠していたということ。これは今の現代だからこそ、あえてシュプレヒコールを上げず変革を成し遂げた、歴史上見ても素晴らしいことだと思う。大統領の施策の是非は兎も角として。」

 

「つまり、本当の本当に民衆が束になって“変えたい”と思うのであれば、変わるはずなのだ。これまでの歴史や、伝統や、慣例なんか民主主義の本質が牙をむけば、一瞬でひっくり返る。けれど結果として、結果論として“変わっていない“のであれば、それは”変わる必要がない“という一点に過ぎない。香港のデモも記憶に新しい。あそこまでして変わろうとしていても、武力弾圧されるのだから、変わるというのは本当に大変なことだ。きっとまだ水面下で、陰湿にネット上で、メディア下でしかこの国の滅亡が叫ばれていないのだから、きっと大丈夫だというのが俺の意見だ。」

 

「と、あまり達観していても仕方ない。もう少しこの国の政治についてズームアップして考えてみよう。ここからはもう一段階堅い、ちょっとしたニュース記事のつもりで。」

 

 

◾️国の危機とは即ち民衆そのものの危機

さて、確かに現実的に、今この国は危機に扮しているかもしれない。実際長い目で見れば借金大国で、GDPも減って、戦後の高度成長期に輝きを見せた国の栄光が失われている気はする

 

周りを見てもニートが多く、かといってとりあえず大学を出ましたという新卒はモラトリアムを抜けきれず、矮小なキャパシティのせいですぐにオーバーフローする。恵まれた地に生まれ育ったから。それはそれはもう、戦後の日本を支えてくれた先人達が培ってきた土壌で、あふれんばかりの“もの”に囲まれて、インターネットを始めとする新しい時代を作ってきた。その反面で、何もしなくても生きられる環境にもなってしまっていた。反骨心で成り上がってきた半世紀前の人たちに比べれば、そのエネルギーの差は歴然。正直その点においては、“ゆとり”と揶揄されても仕方ないとさえ思う。こういった過去、歴史を見ようともせず、今の環境に溺れ、先人の築いたものをただ貪りながら、“老害と喚く若者は見るに堪えない。

 

ともあれ、ミレニアムベイビー、デジタルネイティブといわれる我々は確かに新しい時代に降り立って、自分たちの贔屓目で見れば団塊の世代の尻ぬぐいをしている部分も確かにあるだろう。いうなれば、「甘やかし過ぎた」所以とも呼ぶべきか、「親のしつけ」がなっていないことに他ならないと思う。

 

そういう地盤が、大きな背景があるからこそ、“働かなければ生きていけない”という、“死に物狂い”という文化的な、本能的な暗黙の了解が今は消え失せ、そんなものがなくても働ける…という環境が裏目になっている。幼少のころから“これだけ恵まれているんだから失敗はするな”という空気感に曝されて育っている。それが今のネット社会の、“私刑”が蔓延る背景でもある。だから小学校までは質問されたら皆こぞって挙手をしたのに、間違えたら恥だとばかりに中学からはパタリと手を挙げなくなってしまう。今は小学校でさえも消極的かもしれない。まさに時代の側面に、逃げ癖がついたのだ。そうした世代が社会人になれば、ちょっとした暴力や暴言に始まる理不尽ががパワハラだと訴えて逃げおおすことは想像に難くない。今はそういう時代だから、とその価値観を許容して、更にハードルを下げる。こうして、世間一般の常識まで変わってしまった。ともなればまた今の人たちは逃げることに特化していくことだろう

 

と、我に返れば辻褄合わせのような話ではあるが、根拠づけるにはちょうどいい。結局今の若者をはじめ、日本は何かに依存して…ないしは、妄信して生きている人がほとんどだ。アイドル文化までをこじつける必要はないと思うが、仏教が盛んで神事を大切にしてきたこの国は、偶像崇拝に対してのハードルが低い。それを悪い方向に取り入れた若者は逃げることに慣れ、その分理不尽に立ち向かう力は衰え、誰かに凭れながら生きていく力をつける。これは力ではなく、生存本能≒自己顕示欲だ。そうしてそれに適当なのは、YouTubeをはじめとするネットワークだと知ってしまった。

 

◾️便利が”不便利”を呼ぶ世界 発信力≠社会的価値

石器時代にはどれだけ多くの獣を獲れるかがヒエラルキーを決していた。現代ではその獣の数は、いいねの数、フォロワーの数にとって代わっている。と、勘違いをしている輩が大勢いる。本来の本質は変わるはずがない。皆が協力して、共存して、その集落や一つの集団にとって有益な、有能な人材が好待遇を受けるのは当然の話である。特に日本人はその民族性で、助け合いの精神が非常に強い。単に見栄えが良いからと、着飾っているだけで評価されるわけがない。それは結局インターネットマーケティングも同様で、歌を歌うのがうまくても、見向きもされなければ注目を集めることが出来ない。そのマーケティングの手法と、個の力、そしてそれを拡げていくネットワーク、コミュニティ形成力。それが資本国家として確固たる地位を築いた、この国での個の生き方だと思う。だのに、飲みニケーションの衰退も然り、それぞれは盲目的に好きなことしかしなくなり、それでも生きていける環境が彼らを生き永らえさせてしまっている。便利が世界を不便にする、まさしくSFの世界だ。

 

日本人として生きていくということが前提ならば、ざっくりとでもこのようなヒストリーを脳内に留めて置かなければ、未来を語るうえで整合性の欠片もなくなってしまうと思う。それだけこの国は過去に縛られ、その上で強くなってきたと証明されているのだ。それはこれからもずっと続いていく。今この瞬間も過去の、歴史になっていくことをどれだけの国民が自覚して、大切に思っているだろうか。

 

そうして私がふと、この国のこの政治の上で生きていくと考えたときに、結局はやりたい人がどうぞという“指示待ち人間”が最も適切だと思う。それだけこの国の向上心の低下がぬぐい切れない現実だということだ。

 

◾️滅亡するのが五十年後なら無視という発想

鶏が先か卵が先か、前述したような何となく怠惰な時代の流れは、決して技術の革新だけがもたらしたものではない。また目をマクロな方へと向ければ、元々人類は地球温暖化という共通の課題を抱えながらも、「現状維持」だけを考えて生活し続けている。環境問題も、世界平和も、この宇宙に誕生した地球に住まう人類が「幸せになるためだけのエゴ」なのだ。それを極小化した所で話は同じ、平たく言えば妥協、諦め。このまま生活していては大変なことになるけれど、それは明日や1週間後ではなく、200年後だったり1万年後だったりするのだから、別に自分はそこに携わらなくてもいいやという、責任転嫁である。

 

それは帰納法的に、前述の例のように共通した認識を持っているにも関わらず手を止めようとしないことが根拠だ。これ以上お金がない、けれどおなかがすいたから借金してでも食事をする。日常の、欲望に負けるワンシーンが、地球規模にも発達しているだけの話なのだ。

 

ともなればそれは国単位であっても何ら可笑しくはない。妥協、とは決して悪い意味だけを持たない。冒頭に示した通り、他に政治を動かす人間が、現状をよりひどいものにするならば、現状のままでよい。これは確固たる意志だ。消去法で確かに選び取った、そうあるべきだ、という希望である。それでも、もっとよりよくすべきだとか、改善するためにはどうしたらよいか、といった建設的、前衛的、生産的な話は、どうしても現実味を帯びない。実現させるには「エゴ」が多すぎるからだ。それは皆々無意識下に分かっている。だからこそ、妥協をするのだ。

 

◾️必要に迫られねばやらない”夏休みの宿題”理論

勿論、よしとせずに声を上げることが変革を齎し、この世界に何度も革命を齎してきたことは言うまでもない。そういう政治家がいるのも知っている。けれども、この国の政治は現状、あまりにも柔軟に過ぎるのだ。歴史上起きた世界の独立戦争は、群衆の怒りが溜まりにたまって頂点に達し、それに皆が共感して成り立った。最近であれば香港も同じことが言える。

 

けれどもそれは、きっと逃げ場がないからだ。逆に、「もう仕方ないよ、別に今のままでも悪くはないし」という逃げ道さえ残っていれば、不満というのはそうそう爆発することはない。もちろん、相乗効果、群集心理で、ある程度声が大きくなってしまえば、山火事のようにそれを完全に消すのは困難である。

 

それがこの国が柔軟さであり、皮肉にも温い政治を繰り返しながら、それに甘んじて与党も野党もおままごとのような国会答弁を平気で続ける理由なのだと思う。

 

実際、突如首都に爆撃され、小学生でも分かる程戦争の危機でも迫っていると知れば、いくら無能な政治家立ちであろうとも、少なからず数字の計算くらいは出来る程度に高学歴なのだから、皆が手を取って呉越同舟することだってできるはずなのだ。それをしないのは、今がお互い子供のようにわがままを言い合い、譲歩することもしない、議論が並行線上のまま押し問答になって何も決まらないとしても、それなりに国民が生活出来ているし、何よりも政治家はその状態が一番おいしいと知っているからだ。

 

◾️総括

さて、長々述べてきたが私は政治家になるつもりもないので、政治そのものに対して絶対にこうだとか、そういった意見を述べるつもりはなく、単に有権者としてその都度の政治に耳を傾け、是非を判断するのみである。その上でどう生きているかというのは、「リベラル」と単語は少し言葉足らずであるが、その時々に応じて立ち回るのが理想だということ。物語の蝙蝠として人生を謳歌すると決めている。

 

結局のところ自分はヒーローでもなければリーダーでもない。一会社員としてこの国の経済を回す一員であり、手が届く範囲にしか影響を齎すことはない。それを良しとしない若者も当然多くいて、それが中途半端なインフルエンサーを生み出すこともあるだろうが、政治も経済もそういう風に、めまぐるしく変わっていけばいいと思う。

 

実際このままいけば日本という国は少なくとも、これまで先人が培ってきた強みを失うことになると思う。その先に見える、いわゆる他国に乗っ取られるだとかいう陰謀論の類はもう言い始めればきりがない。陰謀論とは、その陰謀が将来の陰に潜んでいるのではなく、そういった噂を喧伝し、民衆の不安を煽ることで実現しようとする“陰謀”に過ぎない。つまり、なるようにしかならないのだ。少なくとも私自身は、国土問題や貿易摩擦だとか、そういった問題を解決させてやるというエネルギーやモチベーションはない。なぜなら前述した通り、それをしなくとも今は生きていけるから、という“諦めも肝心”の精神故だ。

 

私は私の周りの家族や大切な友人との関係を守り、そのために働き、働き続けるために職場の環境を改善する声を上げることはある。会社とて国の一部になり得るくらいに、様々な意見が交錯し、相容れない。逆に言えばそれだけで精一杯なのである。自分の国のことも満足に考えられないままで、他国の心配をしていられるだろうか、という話だ。

 

勿論、国が危機を迎えたときには掌を返して改善に動くだろう。けれどもそれもまた人生の一部であり、すべてが希望通りにはいかない。ただでさえ奇跡の積み重ねのような人生の中で、多種多様な人種が集まって今も尚、世界は平和ではないし、人類は静かに滅亡に向かっている。そういう事実を知りながら、エゴを受け入れながら、開き直って傲慢に生きていくのだ。少なくともそうして、自覚して生きていくことが、何かにとって言い訳が効くのではないだろうか。

 

◾️結言

最後に、自分はこの国が好きだ。右だ左だと極端な思想も、全て紐解けば理由がある。それは全て理解したいと思う人間だ。そう考える人は尊いものだと思う。そうして考えた末に、この国の成り立ちと、これからの行く末も、見ないふりはしない。最低限この世界の秩序に従って生きていくために、法律に則った義務を果たし、残りの人生は自分の欲望のままに生きていこうと思う。

 

考えることは無為でも不毛でもない。バカみたいな国会答弁でもないよりはマシだ。

本当に危機を迎えるとしたら、SFのように国会も裁判もロボットがおこなうようになってしまうときだ。結局は皆、自分の欲望をかなえるために妥協し、譲歩しながら生きている。そういう見えない隙間を埋めてしまう秩序もあるが、それでは窮屈で、結局爆発してしまう。我々はロボットのように完璧ではない。だからこそパッと見では隙間だらけの拙い秩序でも、その隙間同士をやり取りすることで平穏を保っているとも考えられるのではないだろうか。

 

どうかそれだけは、という願いを込めながら、少なくともこの文章を読んでくれた貴方は、何を思おうとも、今感じていること、考えていることを絶やさないで欲しい。私はこの瞬間に書いたものは、この瞬間までの考え方であり、それは一刻一刻と変わっていく。常に考えていれば、人間は死なない。それが著者に世界に向けて、唯一与えることが出来るものだと信じている。

 

2019.12 茶太