コロナから再認する自分の市場価値 -リストラされないビジネスマンとは-
どうも、茶太郎です。
昨今、例に漏れずコロナウイルスが猛威を振るっておりますが。
こういった未曾有の危機に直面した時、人は変わります。それは成長することもあれば、これまで気がつかなかったことを自覚してみたり、全く別の思想が芽生えたりと、様々でしょう。
特にSNSを通じて、更にはyoutubeなどを通じて、改めていろんな考えを持っている人がいるのだと、考える機会になりました。当たり前かもしれませんが、ふと冷静になって周りを見渡すと、「自分と考え方が違うな」ということに気がつくんです。これが非常に面白い。
さて、簡単な自己紹介含めですが、現在私は休職中の身です。タイミングが良いとは言えませんが、見方によっては運が悪くはないのかなという状態で、一度リセットしている段階であります。
そんな中今回記事にしようと思ったのは、取りざたされているニュースを漠然と見た時に、一番心に残った、悩ましいなと思ったジャンルが、「雇用」です。
皆さん、おそらく緊急事態宣言が出た今も働いている方が大勢いらっしゃると思います。それは業種に関係なく有難いことです。それぞれが社会貢献のため、いやいや純粋に生活していくために仕方なくとか、理由はなんでもいいかと思います。この「雇用」「労働」こそが、社会の経済を回している、当たり前ですよね。けれど今、その当たり前が崩れようとしている。
医療従事者の方々。命の危険に一番近い場所で、今一番ホットな現場で尽力してくださっている方々です。
小売業の方々。パート・アルバイトも関係なく、当たり前に買い物ができているのはこの方々のおかげです。
運送業の方。リスクもある中で、物流が止まらないのはすごいことです。日本の物流は優秀だと思い知らされます。
そのほかにもたくさんの方がいらっしゃる中で。
実際あまり変わっていないよ、という職業の方も一定数いらっしゃることでしょう。それはもちろん、出勤に当たってコロナの恐怖に身を縮めながらの日々かとは存じます。
一番厳しいのは、飲食・サービス業の方々。テレビでも日夜放送されておりますね。
もしこの記事をお読みになっている方で該当される方。本当に厳しい毎日が続いているかと思います。それでも料理やサービス、旅行と、いつかこの自体から乗り切った時、必ず必要とするのは皆さんの力だと思います。それらがなければ、やはり豊かな暮らしはあり得ない。
わずかばかりの声ですが、何としてもこの窮地を乗り越えて、踏ん張って頂きたいと強く願うばかりです。力になれないのが歯がゆいところではありますが。さて、それでは本題に移って参りましょう。
◼️リストラされる未来を想像したことがあるか?
皆さんは多くがサラリーマンかと思います。業種は様々。
おそらくこのブログを見てくださっている方は、リーマンショックを経験したことがあるのではないでしょうか。
ほかにも各地での地震、津波。災害や事件によって、資本主義の日本では多くの「雇用」が、また「経済」が揺れ動いてきました。
そんな中でみなさんは、「自分が職を失った未来」を想像したことがありますか?
これ、「仕事辞めようかな」と思うのとはまたちょっと違うんですね。
「仕事辞めよう」というのは少しばかり余裕があって、もちろん働けない状態かもしれないけれど、いつかまた働こうと。ないしはもっとよりよい職場を探そうと、その猶予期間がしっかりとあります。バンジージャンブを飛ぶにしても、心の準備をする時間がある。
けれどリストラはどうでしょう。急に宣告をされて、突然足元の床に穴が開いた、まさにそんな形でしょう。準備なんてロクにしていないだろうし、首を切るという状況は善悪は置いといて、非常に切羽詰まった状況に変わりはありません。当人も会社も、非常に苦しい時間が続くことでしょう。
では何故そんなことを考えなければいけないのか。
今このコロナショックの中で、確かにリストラが起きているということ。純粋にここと繋がるわけです。そしてそれは、いろんな企業を見ていると本質が見えてきます。
例えば「テレワーク」に焦点を当ててみましょうか。
緊急事態宣言が出ても、結局満員電車に乗れば感染のリスクが高まってしまう。けれど職業柄行かなきゃ仕方ないんだよ、という方もいらっしゃることでしょう。
けれど裏を返せば「テレワーク」で出来る仕事も中にはあって、それをすればいいじゃない、なんでうちの会社はそうしないんだ、という不満がSNSにはたくさん上がっていました。
かといって「テレワーク」に無理やり移行した会社の社員の方が、これじゃあまるで仕事にならない、全員家でサボってるようなものだと、悲鳴のような文句を垂れ流しているのも見かけました。
このように、緊急事態に対して求められる反応……サラリーマンである我々は、国というよりも自分が所属している会社が一つの「国」でもあるわけですから、その会社が、そのトップがどのような対応をしてくれるかが、ライフワークバランスを大きく左右すると言っても過言ではありません。
これは入社時の福利厚生などとはまた視点が違います。ベンチャーでもうまくやる方はいるでしょうし、大企業でうまく足並みが揃わない、逆も然りです。
このような「体制」働くための「環境」を維持し、確保することも会社にとって義務ではありますが、今回のような緊急事態、未曾有の災害に対応する、ということは個人の力では同することもできません。この考え方が丸々国民→政府への不満と比例していて、結局SNSは不満爆発、どこを見てもやいのやいの、という現状が起きているわけです。
保証されない会社。保証されない人。
検査を受けられない人。治療を受けられない人。
不安、不満、恐怖が連鎖して、あぁもう自分は一体どうなってしまうんだ、という時に。
貴方が会社の動きを見て「リストラされるかもしれない」と思った時に。
「リストラされるのは、会社のせいだ」と思ってはいませんか。
こんな時だからこそ、「リストラされる人」を第三者の目線で見てみるのはいかがでしょう。
◼️貴方は「トイレットペーパー」になれますか?
さて、お気付きの方もいるかもしれませんが、この辺りから記事のタイトルにつながってくるお話です。
「市場価値」
これはとても深いテーマです。私は別に経済的な専門家でもなければキャリアコンサルタントでもありません。けれど、ある程度モットーにしていることがあります。というより、こういう状況だからこそ実感した不安があるのです。
働けなくなったという背景も含めて、私にはこんな状況で不安が大きく3つあります。
1.日本の経済の先行き
2.外国人の流入
3.業種の将来性
以上3点です。
簡単に説明していきますと、まず1は純粋に、経済の回り方ですよね。各国ともに経済対策を緊急に打ち立てました。コロナの収束≠経済の安定ですが、一つの指針にはないだろうと感じています。何をするにも経済が安定しないことには社会もどこか大きな穴が空いて空気が漏れ出しているような状況になりますから、コロナが収束して、無事各業種が安定すること、この不安があります。
2つ目は外国人の流入。おそらく現時点で、他国は甚大な被害が見込まれています。そうしてその余波はじわじわと、特に貧しい国や発展途上国に及ぶはずです。この余韻というか、今でいうところのコロナ疎開、東京からコロナ感染者が少ない実家へ帰ろうなんて、各々の希望だけで動いてしまう…こんな形でのコロナ収束後の逆輸入が、必ず起きます。もしくは純粋に経済が落ち込んで、働き手がいない、もしくは反動で働き手が溢れかえって、賃金の安い出稼ぎの外国人が増えて…などなど、外国人が増えて日本人の所得が減ってしまうと、それはそれは自国としては悲しい未来になってしまうので、なんとか堪えたいものだなと感じています。
3つめが最も重要で、私は建築・不動産業界に勤めていますが、幸いにもコロナが丸ごと直撃するような業種ではありません。が、もちろんこんな状況ですから全くの無関係ではありません。それを除いたとして、今後どのように成長していけるか、そこにどう参入していけるか、という純粋なビジネスチャンスを、今の段階から虎視眈々と狙っていこう、そういうイメージがあります。
この3点、なんかしっくりこない方もいたかもしれません。え、それが不安?と。
そう、私は別に、リストラを恐れていません。見方によってはある種傲慢かもしれませんが、私はある程度の担保があります。これこそが「市場価値」という話にリンクするわけですが、必要なのは不安ではなく、将来への展望と、現状認識です。その考え方が、今だからこそ必要なのです。
皆さんはトイレットペーパーのデマ騒動の際、どのように行動されましたか?
あらかじめストックがあったから買わなかった。
まんまとデマに引っかかって、ちょっとだけ買い溜めしてしまった。
買い溜めにやられて終始買えず、無くなる寸前でようやく買えた。
などなど、いろんなパターンがあるかと思います。
私はなんとなくデマを予見して、いつもより一つ多く買っていました。コロナ流行りの段階で水なども一応買っていたのですが、その頃はいつも通りの物流です。
そうしてマスクも常備していたので困らなかったのですが、これらいずれもネットで転売され、高騰したにも関わらず取引が進んでいたようです。
今物流が安定して、ようやく買えるようになってもお一人様1点まで、というところが多い状態です。一年前、ひいては数ヶ月まではなんてことなかったトイレットペーパーが、です。
これは背景はどうあれ、「需要と供給」の話です。
理由は限りなく溢れています。例えば急に鉄が採取できなくなれば金属製品は高騰します。一番わかりやすいのはガソリンでしょうか。原油価格の高騰でガソリンは驚くほど値動きします。
常にこの需要と供給で変わる値動きを、全てのものに当てはめて動けているでしょうか。
「トイレットペーパー」である必要はありませんが、自分がいつどのような立場に立って価値を向上させるか。逆に、必要のない時はどのようにして身を守るか。価値が低い時には、どのように立ち回ればよいか。それをしっかりとしたロジックに当てはめて考えているかどうか。
もっとくだけて言えば、情報に動かされるのは、何も考えていない証拠だということです。
100人中90人がそうだと言えば、大抵の人は90人に付く。群集心理は非常に一般的なロジックですが、トイレットペーパーが1ロール1万円だとしたら、本当に買いますか?
でも、90人は買っているという事実がある。きっと本当に品薄なんでしょうね。けれど、よく考えてみてください。もし90人が買っていたとしても、1万円も出すくらいなら他の何かで間に合わせようと考えたりしませんか。90人の動向は伺いながら、ですが。
というロジカルな考えを、常に出来ているか。冷静に物事を判断する。
出来ているようで、案外難しいものです。常に情報に踊らされることも仕方ありません。
ただこれが、最終的な「市場価値」につながっていきます。
トイレットペーパーを「いくらで買ったか」ということよりも。
貴方が「トイレットペーパーなるもの」を買えば、目的は達せられる。
より詳しく見ていきましょう。
◼️市場価値はランキング形式
改めて「市場価値」とはなんでしょうか。
始めに、ここではあくまでも、社会人・ビジネスマンのステータス、という意味で使用しています。その人それぞれの良さ、魅力、長所などですよね。
言葉のイメージとしては、例えば転職活動。
「貴方の市場価値は、年収〇〇万円かも!」
みたいな広告を見たことがおありかと思います。
ただ、私が考える市場価値は、年収換算ではありません。
ズバリ、ランキングです。
もちろんランキングなので様々なジャンルがあるかと思いますが。
例えば業種別で、製造業の車系で考えた時に。
その人がどんな経歴で、どんな技術を持って、資格を持って、その上で性格、計算力、思考力、コミュニケーション力エトセトラ……
きっとその道のプロフェッショナルが集まって、その人のスキルを点数化すれば、便宜上でも数値化することが出来るでしょう。該当5万人中の、5000位、とか。年齢を絞り込めば2000人中の100位だとか。
これはまさしく「市場価値」です。
純粋にこのようにして数値を算出して、それに見合った報酬を受け取って、もしくは転職をして、というのがサラリーマンかと思いますが。
実際は違いますよね。何故かといえば、こんな風に完璧に、客観的に、第三者機関が評価してくれることはありません。どれだけ仕事が出来る人でも、上司によっては評価もされません。
年功序列が残っている会社では、どう見ても将来性がない上司が重役の椅子に座っていたりします。
この際こういった文化が根付いているという根幹の部分には触れません。名言するだけ不毛な部分もあるためです。それを一つ飲み込んだ上で、皆さんにお聞きしたいのですが、
だからこそ、自分の市場価値を見ないようにしていませんか。
どうせ自分なんて正当に評価されていない。会社が見る気もしない。
人事評価の仕方が悪い。あの人は残業代を多くつけてる。あの人は早く帰りすぎだ。
いや、逆の方もいるかもしれません。自分がこんなに貰っていいのか。なんて。
ただ、考えて欲しいのはそんな日々、日常ではありません。
今のような、緊急事態です。各社既に派遣切りから始まって、リストラが始まっている会社もあります。そういう時に切られるのは誰でしょうか。市場価値の低い人でしょうか。いいえ、違います。
残念なことに、ここではあえて「運の悪い人」という言葉を使わせていただきます。
そんなのは、時の運だと私は思います。その時の部署の若手だとか、ちょうど異動したばかりのベテランだけど慣れない仕事、これまでは仕事が出来ていたけれど、新しい上司からは嫌われた挙句…なんて話が各々たくさんあることでしょう。
そういう会社特有の理不尽は、決して許されることではないにせよ、確かに現実に存在します。その上カテゴリーにまとめるのが難しいくらい、溢れています。
そういうしがらみの中、結果我々が目指したいのは、欲しているのは、自己を守ることではありませんか。自分、ないしは家族の生活を守ること、これが一番だと私は思います。そんな時必要なのは、なんとしてでもそこに留まる力……でも、構いませんが。
「市場価値」があれば、100%それが叶うということです。
100%、というのはつまり、「リストラされてもされなくても」という意味合いです。
いざという時に必要される人材像は、実際に考えてみると摩訶不思議、案外拍子抜けするほど明瞭です。逆を言えば、その仕事に必要のない人、その仕事に適合しない人間、というのもカッチリ分かるものです。チャレンジしてみてうまくいくパターンも時にはあるでしょう。ただしそれは確率論になってしまいます。あくまでもここではお互い堅実に、その上で即戦力として採用したい、働いて給料が欲しい、そういう目線です。
ただし、運や、周りの目、忖度、そして今回のような災害、いずれからも自分を守るために、どうしても皆さん今の会社での「居心地の良さ」を目指してしまいます。それが一番楽だからです。もちろん決してそれが悪いことではありませんし、むしろ喜ばしいことです。
そうして日本の会社は有難いことに、終身雇用の楔がどうしても抜け切らないために、どれだけ使えない人材でもよほどのことがない限り首を切りません。それを雇用側も労働者側も知っているからこそ、ぬるま湯に浸かったまま仕事をすることが出来ましょう。通常通りなら、社会がそれで成り立つのなら、それでも一向に構わないのです。
それでもこんな、未曾有の事態には例外が発生します。
社会は非情です。いざポツンと路に立たされてみた時、消去法で見事に選ばれた時、痛感することでしょう。肩書きで守れられていた、その会社、その部署でしか働くことの出来ない、無能と呼ばれる存在が、悲しいことにこの世の中には少なくありません。それがもし自分だとしたならば、それを自覚をしていないならば、残念なことですが現実を突きつけられてから絶望する他ありません。
「市場価値」が無くても人間は生きていけます。
それはある種、その人にとっての「魅力」の値でもあり、「人間性」とも言える。
もっともっと他に形容する言葉が沢山あるかと思いますが。
あって困ることがない、ということはお分かり頂けますでしょうか。
そうしてこの「市場価値」は恐ろしいことに「自己申告制」なのです。
要するに、今回のコロナから学ぶべきは、この非常事態に対応する自覚。客観視。
それに併せた、自己分析と、自己研鑽です。
最後にこの「市場価値」について、どのように自分を見つめ直せばよいかをみていきましょう。
◼️「市場価値」は自分の人生の選択肢を増やす
さて、記憶に新しい方もそうでない方も、もしくはこれから書こうかなという方も。
「履歴書」というものはご存知かと思います。
簡単に言ってしまえば、これがまさしく「市場価値」なわけですが。
皆さんにひとつ想像して頂きたいと思います。
とにかく超優良企業。そして世界的にも有名な企業の人事を任されました。
ともなれば当然優秀な人材の確保は勿論のこと、失敗も許されません。
面接はどんな形式でも構いませんが、まずその人から聞き出したいとすれば、どんな質問が思い浮かぶでしょうか。
この質問に正解はありませんし、いろんなことを思い浮かべると思います。
それでも抑えておくべき点がいくつかあります。
一つは相手が「本当のことを喋っているか」という点。
受かりたいばっかりに虚言を吐いている人は勿論後ほど困りますし、自分もあとで上司から怒られることになるでしょう。
ですから私であれば、「出来ないことは出来ないと言って欲しい」と、言葉はともかく伝えたい所です。お互いにその仕事をする上で、自分が出来る仕事の可能性…全く畑違いのことに手をつけるのは非効率ですよね。チャレンジ精神は有難いですが、ここでは優秀な人材の確保です。お互いの不利益にならないよう、本音を引き出すのが重要です。
さて二つ目として、相手が「もっとも重きを置いていること」を聞きたいと思います。
非常に漠然としていますが、その人の人生観というのはその延長線上が見えてきます。具体的な質問にするなら、高校を選んだ理由、大学を選んだ理由、またそれぞれでやっていた部活やアルバイト、などでしょうか。
そうやって考えるとよく挙げられる面接対策、なんていうものは理にかなっていますよね。その人がコロコロと主軸をずらす人なら、この先も怪しい。一本筋が通っているなら、これまで培ってきた知識をそのまま伸ばしていけるかもしれない。これだけのプロファイリングが出来ます。
最後に三つ目ですが、相手が「失敗した経験」を聞いてみたいと思います。
これも面接ではよくある内容ですが、失敗経験は必ず皆さんお持ちかと思います。
その上で貴方はどう考えたのか、これからどのように改善していくか。これはその人の危機管理能力や対応力の根幹を把握するのに有効です。
自分自身の掘り下げが甘いと漠然とした改善方法しか挙げてなかったり、これからも繰り返しそうな失敗があったりと、爪の甘さがすぐに露呈する質問でもあります。
さて、例えばで3つ挙げましたがもちろんいろんな回答があって良いかと思いますが、このようにして質問する側になってみると、浮かび上がってくることがあります。
それは、「市場価値」とはその人に求める具体的な能力である、ということ。
当たり前といえば当たり前ですが、その人が実際に何が出来るのか。
例えば料理人を雇うとしましょう。調理師の免許も持ってて、フレンチで経験を積んできました。こういう経歴で、何年目にシェフを任されて、オリジナルの料理はこんなのがあります、と。でも作って欲しいのは純和風料理、例えばだし巻き卵。それは作ったことがないけど、作れるんだろう?と雇ってみたら、やっぱり和の基本は全く学んでないからいくら作ってもらっても思ってたのと違う。
これはその人にとっての、「市場」とずれていた結果ですね。
つまり「市場」とマッチしていないため、見かけ上「市場価値」が高そうに見えて、マッチしているように見えて、「価値」としては低いわけです。低いわけですが、高く見積もってしまった。これはお互いに損をしてしまいますよね。
この例であれば少し経験を積めば、なんてことがあるかと思いますが、もっとシビアに即戦力でお願いしたいんだ、とか。システムエンジニア、整備士、施工管理、看護士などなど。その業種、職種としての括りが絞られても、経験…特に年数が上がるにつれて、その人がどれくらいニッチなことをやってきたのか、メジャーなことはどこまで知っているのか、というノウハウや知識の部分は、これでもかというくらい詳細に「市場価値」に直結します。
これを武器にすることが、自分の人生を守っていく大きな手段の一つだと私は考えます。
あまり考えたことがなかったな、という方は試しに3つの質問を軸に解答例を自分なりに掘り下げて、今一度履歴書を書くつもりで自己分析をしてみると良いかもしれません。
さて、リストラの話に立ち返ってみましょう。
これまでの話から、「市場価値」が高い方はリストラをされてもすぐに職が見つかるよと。そういう意味も含まれていましたが。
実際問題、理不尽な会社であれ普通の会社であれ。
落ち着いて考えてみれば、やはり優秀な社員というのは手放したくない。
これは結局「市場価値」に直結するわけです。と、冒頭の話と少し矛盾しているように見えますが。
あくまでも「市場価値」という言葉における「市場」とは、”全て”を指します。
全ジャンルで働くための、自分の経験値。料理人がパイロットになったっていいです。バイトから弁護士になったっていいです。それは常に、一刻一刻と積み重なっていくそれぞれの知識と経験が、丸ごと「市場価値」に変換され、その人の職業に結びついていくのですから。
故に、その道のプロフェッショナルとして磨き上げるのも構いません。それを武器にして、職人と呼ばれるまで積み上げるのも良いでしょう。幅広く資格などに手を伸ばして、別の業種にも転換できるよう努めるのも一つです。
このようにして、今いる会社に残ることだけを考えない自己研鑽、「市場価値」を上げる努力こそが、結果としてリストラされにくい自分を形成する、ということです。生きる上で、選択肢を増やすことに繋がります。イコール安心、保険と一緒ですね。
単に自社で勧められる資格を取ろうだとか。
明日の仕事を終わらせるための準備に全力で取り組むとか。
上司の機嫌を取ることに精一杯で日々ストレスが溜まってるけど耐え忍ぶとか。
これでは「いざ」という時にどうしようもない。
そんな「いざ」が今こうしてやってきている。これを機とせず、いつ自覚を変えましょうか。
こういう人は「いざ」という時に、リストラされた会社を憎みます。
でもちょっと待ってくださいと。それは確かに一理はあるかもしれない。けれど、その保険として、リストラされることを想定して、自己研鑽を積んで「市場価値」を上げた人がいたとしたら。その人はきっと、多少の痛みは抱えながらも、次の一歩をすぐに踏み出すことでしょう。
また、それ依然の問題で、テレワークになったのをいいことに仕事をしたフリでyoutubeやらNetflixに夢中だったり。
そもそも普段の仕事から80%、60%くらいで働いて周りからも使えないだのと揶揄されながらなあなあと生きてみたり。
自己研鑽する機会を放棄していくと、結果自分の首が締まる。当たり前に見えて、人間普通に生きていれば「最悪」は考えないように生きていますから。
どうなってもいいように、この先の未来を考える。
今テレワーク主流のコロナショックの時期、非常にチャンスだと私は思っています。
そうしてその分、それを進めた人とそうでない人の差は歴然になる。
するとどうなるか。コロナショックが続き、もし大企業が潰れた時、路頭に迷うのは自分かもしれない。既に秒読みが始まっているかもしれません。
国は、政府は、そして自治体並びに医療従事者の方は、精一杯努力をしてくれています。
上述してきた自己研鑽の余裕などない程に、この未曾有の事態に向き合ってくれています。
であれば、我々一市民にできることはなんでしょう。
コロナから立ち直った時、経済を再生するのは一市民の我々ではないでしょうか。
その先陣を切って、会社の理念と共に社会貢献をしていく。経済再生へ手応えを感じながら働いていく。これほど有意義なことはないと、私は今十分に希望を持って生きています。
飲食に関わる方や、その他自営業の方も。
それぞれ新しい活路を必死に模索して、今が正念場と粘っています。
不満や不安を嘆くことはいくらでも出来ますが、こんな時だからこそテレワークが可能な方は家に篭り、その上で自己研鑽を積む。自己分析をこれまで以上に掘り下げていく。
これは十分に社会貢献だと、私は思います。
最後になりますが、コロナウイルスはまさしく人類の脅威です。
家にいてゲームをしたり動画サイトに夢中になるのも、ストレスを溜めないためには十分必要なことだと私自身思います。それでも今この瞬間、SNSでただひたすら不安を嘆いて正義中毒に陥っている人たちはきっと、路頭に迷った時にまた「誰かのせい」にすることしか出来ない。少なくとも私はそうなりたくないと、そういう思いで自己研鑽のための勉強をしていますし、こんな記事を書くことに繋がった次第です。
命あってこその労働、そして人生です。外出自粛は勿論のこと、日々の健康に十分留意しながら、それぞれが思い描くより良い生活を取り戻すために、国民一丸となって努力していきましょう。何よりも、大切な自分の人生を守るために。少しでも伝われば幸いです。
お読み頂きありがとうございました。
茶太郎